[愛しの×××さん]

「イクラを持っている魚は、乙女座の鮭だけ」

 ミシンとコウモリ傘との、解剖台の上での偶然の出会いのように美しい。と、同程度の名言を僕の恋人、卵子(ランコ)がふいに言い放った。

 窓枠に腰かけてワインが入ったグラスを片手に、卵子は物憂げな眼差しを夜景へ向けている。僕はベッドに座ってそれを眺めていた。

「どう? 悪徳ホテルからの眺めは」
「ステキよ。ソドムの夜が透視できるわ」
「いつの間にエスパーになったんだい? 卵子」
「つい先週かしら」
「ソドム、夢の都。きっと×××さんも天から見ているだろうね。あの人は神だから」
「……」

 卵子はワインを一気に飲み干すと、グラスをやや乱暴に置いた。卵子はいい女だ。

 栄養を失っているバサバサの髪は、所々緑色のメッシュを入れた蛍光ピンク。そんなサイケな頭とは対照的に幸薄そうな顔立ちをしている。顔色が常に青白い。折れそうなほど華奢な肢体はラバー素材のミニワンピースに包まれていた。まさに理想のラバー・ドール。

 さすが今は亡き×××さんの元恋人だったことはある。神の女だ。

「卵子、おいで」

 誘うと卵子は窓枠から下りて、素直にこちらへ寄ってきた。卵子の体を優しくベッドに押し倒す。

 そして木槌で卵子のファニー・ボーンを刺激しつづけた。苦痛に満ちた叫びは僕の耳では嬌声に変換される。

 僕は罪深い。神の女を冒涜することに喜びを覚えてしまった。しかも神、×××さんは僕が殺してしまったようなものだった。


 それは、たぶん五年前。僕と×××さんが安置学園の生徒だったころだ。僕と×××さんはクラスメートだった。

 ×××さんは学園一頭がよくて、芸術的才能に溢れていて、何より悟りを開いていた。釈迦とキリストに対して「このカッパ野郎!」と、アナーキーな態度を取っているのが素敵だった。

 廊下を歩けば教師でさえ土下座する×××さんと、平凡な僕が何故親しくなれたのか。それはある日のお昼休み、×××さんのカッパ談義にクラスメートで僕だけが唯一付き合えたからだ。授業も忘れて三時間も! この時、インターネットでカッパについて調べておいてよかった、と、僕は心の底から思った。

 以来、僕は×××さんの威光を借りることになった。×××さんの背後で歩いていると、周囲の人々がひざまずいていくその様子はなかなか心地好い。

 まるで僕も神になれたみたいだ。……このおこがましい勘違いが×××さんを死なせることになってしまった。ああ、恥ずかしい!

 ×××さんは振り向くと、ニヒルに笑ってこう言ったんだ。

「お前の魂胆なんかお見通しだぞ。俺を越えてやろう、とか思っている」
「えっ!」

 心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほどビックリした。いや、実際半分飛び出した。

 慌てて心臓を体内に戻す。僕はそんなこと一秒たりとも思ったことはない。

 いや、深層心理を読まれてしまったんだ、僕は。

「×、×××さん……」

 それから、図星を突かれたことによる腹立たしさに悩まされた。僕は前述で自分のことを平凡だなんて言ったけれど、本当は全然そんなこと思っていなかったんだ。

 そんな謙遜、本気でするつもりなら「カッパ」なんか検索しない。僕は幼児のような癇癪を起こした。給食でバナナが出たから、こっそり皮をポケットにしまった。そして僕の前を歩く、×××さんの前へ向かって、バナナの皮を投げた。

 ×××さんは神だし、ていうか思いっきり視界に入っているだろうし、踏みやしないだろう。と、安心したからおこなった腹いせだった。なのに

「よぉーい、ドン!」

 ×××さんが叫んだ。走った。バナナの皮を踏んだ。前のめりに転んだ!

 ツルツルに磨かれた床に×××さんはしたたか額を打ちつける。瞬間、×××さんの頭が裂けて脳みそが丸々一個、飛び出した。

 周囲が「ファー! ファー!」と騒ぎ、パニックを起こしている。僕は呆然としながらも、足元に落ちた×××さんの脳みそを見た。

 メロンパン。

 ×××さんの脳みそはメロンパンだった。

 途端、僕はすべてを理解した。そして己の愚行を恥じた。わざとバナナの皮を踏んで、×××さんは僕に真理を教えてくれたのだ。


 ×××さんの脳みそ(メロンパン)を質屋に売って得た金で、旅に出た。行き先はイスタンブール。×××さんのかつての恋人がそこにいると以前聞いたからだ。

 そして、卵子。ホーム・レスになっていた君を拾った。


「×××さんは、鰻のように掴み所のない人だったわ」
「それはさっきのイクラを持っている魚は乙女座の鮭、ほど芸術的じゃないな」
「……」

 情事を終えて木槌をベッドサイドに置く。卵子の体は僕の変態趣味故に、傷痕だらけだ。

 さて、そろそろ金も尽きてしまう。この神の軌跡を辿る旅、次は何処へ行こうか?


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